元猿岩石の森脇和成は会社経営者だった!? なぜ芸能界復帰?

 

 こんにちはトレンドガールです。さて、毒舌キャラで不動の地位を築いた有吉さんですが、数々の冠番組を持ち司会者としても芸人としても大人気ですよね。そんな有吉さんですが、かつては「猿岩石」というコンビを組んでいました。

 

 一躍コンビで有名になりましたが、その後人気は低迷し解散。そんな有吉さんの元相方である森脇さんが、先日再び芸能界復帰するとのことで話題になりました。

 

 そこで今回は、この元相方の森脇さんについて、芸能界引退後は会社経営をしていたなど気になる噂についてや、さらに芸能界復帰の理由なんかも調べてみたいと思います。

 

このページの目次

猿岩石とは? どんなコンビだったの?

 

 さて、まずは猿岩石についてご存知でない方もいらっしゃるかと思うので、詳しく見ていきたいと思います。メンバーは有吉弘之さんと森脇和成さん。

 

 有吉さんは1974年5月31日生まれ、そして森脇さんも同じく1974年8月1日の41歳。そして2人共広島県出身です。有吉さんがボケを担当し、森脇さんはツッコミ担当でした。


まぐれ [オンデマンドCD] / 猿岩石

 

 2人は小学校時代の同級生であり、1994年にコンビを結成されました。「猿岩石」というちょっと変わったコンビ名の由来は、中学時代のそれぞれの好きな相手のあだ名から取ったそうです。

 

 「猿女房」と「ほくろ岩石」という、結構強烈なあだ名がついていた女の子の名前を組み合わせて命名したんだとか。どんな女の子なのかそっちの方も気になりますが…。

 

 さてそんな2人ですが、コンビ結成後広島からバスで上京します。ちなみに、上京してからしばらくの間は、文京区の後楽園周辺で野宿をしていた時期もあったそうなんです。かなり苦労されたようですね。

 

 その後、当時の人気番組である「進め!電波少年」の企画で、だまされて香港に連れられることに。だまされてって何か凄いですが、内容を明かされないままオーディションを行なわれたそうで、当時はバナナマンや劇団ひとりなど、今となっては人気芸人も多く参加していたそうです。

 

 そして、そのオーディションで合格した猿岩石は香港に連れられ、なんと「イギリスまでヒッチハイクで行け」と告げられて旅が始まりました。当時筆者も電波少年の大ファンで毎週見ていたので、2人の旅の様子は楽しみに見ていましたよ。

 

 この企画で猿岩石の認知度は格段にアップ。一躍全国にその名をとどろかせることに。そしてその後幾度も過酷な難関を乗り越え、1996年10月に無事にロンドンにゴールしました。

 

 最初は全くといっていいほど無名のお二人でしたが、その当時のヒッチハイクの様子が評判を呼び、一躍大人気に。さらにヒッチハイクの内実を書いた書籍「猿岩石」も、シリーズ累計で250万部のベストセラーとなったのです。

 

 このコトから、ブレイク前のギャラは給料制で5万円だったそうですが、印税などの収入で月収最高2000万円まで膨れ上がったそうです。無事にゴールを終え、日本に帰国後人気者となった猿岩石はテレビに引っ張りだこに。

 

 更に人気は続き、秋元康のプロデュースにより「白い雲のように」を発売し歌手デビューも果たします。この曲もミリオンセラーとなり、なんと「第39回日本レコード大賞」の新人賞を獲得します。その後もいくつかヒット曲を連発し歌手としても注目されていました。

 

 筆者もこのデビュー曲である「白い雲のように」が発売された時は当初小学生でしたが、(年齢がばれてしまう…)当時はクラスの音楽発表会なんかでも歌われて、一生懸命練習した記憶があります。

 

 話を戻しまして、この通り一躍時の人となった猿岩石ですが、やはり浮き沈みが厳しい芸能界、そんな人気も長くは続きませんでした。全国のレギュラー番組も次第に減り、出身地である広島のローカルタレント化していきました。

 

 その後2004年にはグループを解散。原因は有吉さんのお笑い芸人志向と、森脇さんの役者・音楽家志向など方向性の違いがあったようです。有吉さんは太田プロダクションに残りつつも、森脇さんは実業家に転身するために芸能界を引退。こうして猿岩石の歴史に幕を閉じました。

 

猿岩石解散後に森脇氏は会社経営者に?


 

 さて、猿岩石を解散し芸能界を引退した森脇さんですが、引退後は何をされていたのでしょうか? 会社を経営しているとの噂もあったので調べてみました。

 

 で、その調べた結果ですが、どうやら芸能界を引退後、すぐにホストとして働いていたようなんです。確かに顔も知られているし、芸人さんならトーク力も抜群でしょうし、ぴったりかもしれませんね。更に自身でも六本木でホストクラブを経営されていたんだとか。

 

 しかし、その後あえなく閉店することとなってしまいました。経営があまりうまくいかず閉店…というよりは、結婚して生まれた子供のために夜の世界から足を洗ったというのが理由だとも言われていますね。

 

 この通りホストクラブの経営をやめた森脇さんですが、その後は塗装関連会社に入社し、専務取締役に就任されています。 当時2006年にテレビ朝日のアメトークにて「元コンビ芸人」として有吉さんと出演。仕事について語っていました。

 

 それによると、実業家として「株式会社スクラッチ」 (現ESPバイオテック・ラボ)という会社の専務をされているとのことでした。家庭も持ち、専務取締役ということで順風満帆の生活に思えましたが、その後専務を務めていたスクラッチを退職。

 

 退職後、今度は時計業界に足を踏み入れたそうです。専務という肩書きを捨ててまで時計業界に入ったので何かあったのかと思いましたが、真相はわかりませんでした。

 

 ちなみに、その後もずっと時計業界にいるのかと思いきや、カレー屋の店長をやったり、輸入貿易会社の営業をやっていたりと、仕事を転々をされていたようです。

 

 輸入貿易会社の営業として働いていた時代は、有吉さんの話しを聞かれたり、ヒッチハイクで旅をしていた時の話しを聞かれたりと、商品よりも芸能人として活動していた時の話しや有吉さんとのことなんかを聞かれ、営業成績が上がらなかったとも語っています。

 

 でも引退されてからも、お客さんに覚えてもらっていて聞かれるなんて、よっぽど有名であった証拠ともいえますよね。さらに、仕事を転々としている間に結婚されていた奥様とも離婚してしまい、現在は独身のようです。

 

森脇和成が芸能界に再び復帰宣言!? 理由は?

 

 そんなサラリーマン生活を終え、2015年に再び芸能界に復帰するとテレビで突然の宣言。2015年に放送された「しくじり先生」の放送中、「サラリーマンを辞めた」とおっしゃており、放送後は森脇さんの元に芸能プロファクションのオファーが殺到したそうです。

 

 そんな熱烈のオファーを受けた中でも、辺見マリさんの経営する芸能事務所「辺見プロモーション」に所属することを決め、再び芸能活動を再開されることになったようですね。

 

 芸能界に再び復帰した理由については、有吉さんがピン芸人で売れていったことにあやかって、再び自身も芸人として出発したいという思いがあったようです。

 

 うーん。有吉さんも1人になって辛いどん底の時期を乗り越えてここまで来た訳ですし、あやかるっていうのはちょっとどうかなと思いますが、森脇さんは芸能界復帰ということで、かつて所属していた太田プロに復帰の報告をし、挨拶を済ませたようです。その辺りは筋を通されたということですね。

 

 さらに、猿岩石の復帰から月日が経っていることからも、有吉さんも太田プロも、森脇さんの芸能界復帰に関しては受け入れているそうです。しかし、あくまでも再びコンビで活動や、有吉さんとの共演があるということでもなく、森脇和成として別々の道で頑張っていくということになっているそうですね。まぁ有吉さんの立場になって考えれば、当然だといえば当然かもしれません。

 

元猿岩石の森脇和成の記事-終わりに-

 

 さて今回は、元猿岩石の森脇さんについてあれこれ調べてみました。元会社経営者というのは本当だったようですね。しかし今回芸能界に復帰されるということで、今後どのような活躍をされていくのでしょうか?

 

 森脇さんが再度芸能人としての地位を築くまでは、有吉さんとの共演もないようですが、今後いつか再び2人の共演も見てみたいな~とも思います。その日が来るといいですね。

 

 それでは最後に、猿岩石時代のデビュー曲でもあるこちらの動画をご覧頂いて、今回のこの記事を終えたいと思います。結構いい曲ですよ~。

 

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