【阪神ドラ1】藤田太陽が引退!ヤクルトから戦力外通告
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ヤクルトスワローズから
戦力外通告を受け自由契約となっていた
藤田太陽投手(34)が現役引退を表明した。
出展 http://blogs.yahoo.co.jp/pikapikayukorin/28989281.html
藤田 太陽(ふじた たいよう、1979年11月1日 – )
は、秋田県秋田市出身の元プロ野球選手(投手)。
出展 Wikipedia
阪神タイガースに鳴り物入りで入団した
新人時代と比較すれば明らかに寂しいこの引退劇。
藤田太陽の野球人生を振り返りつつ、
大成できなかった「元・大物」
プロ野球選手の悲哀を俯瞰してみる。
このページの目次
さすがドラ1の音やな
藤田は2000年、逆指名の
ドラフト1位で阪神タイガースに入団した。
当初は関西圏を中心に
大物新人スター選手として扱われ、
阪神サイドも藤田人気を大いに活用して宣伝効果をあげた。
出展 月間タイガース編集日誌
藤田入団時における
タイガースの監督はあの野村克也。
野村はキャンプ中、ブルペンで投げる
藤田のボールが捕手のミットに収まる鋭い音を聞き、
「さすがドラ1の音やな」とベタ褒めの様子だった。
それだけの期待を背負った
大物ルーキーだったわけである。
そして忘れ去られてゆく藤田
しかし、その後の実戦では
そうした期待に応えるような
結果を残すことが出来なかった。
同時期に伸び悩んでいた
藤川球児(現シカゴ・カブス)が、
のちに見事大成し、阪神の絶対的な守護神として
不動の地位を築き上げたのとは対照的に、
藤田の存在は徐々にタイガースファンの
間においても忘れ去られ、2009年、
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ひっそりと西武へトレードで移籍。
タイガースの大物ルーキーとしての
藤田の物語は、ここでピリオドが打たれた。
その後、移籍先ではそれなりの
活躍を見せた藤田だが、鳴り物入りで
登場したルーキー時代を考えれば、
すこぶる寂しい生涯成績のまま球界を去ることになった。
折しもメジャー挑戦が決定した
楽天・田中将大のように大物のまま
成熟して大活躍を遂げる選手もいれば、
藤田のように挫折を通過して引退を決意する者もいる。
大成できなかったプロ野球選手には常に、
悲哀という二文字の影がその後ろ姿につきまとう。
しかし、それもまたプロ野球という
世界におけるひとつの紛れもないドラマなのである。
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