なすびエベレスト登頂に成功! ガイドブログで報告?
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こんにちはトレンドガールです。さて、なすびさんといえば、進ぬ電波少年の「電波少年的懸賞生活」にて、一躍有名になったお笑いタレントさんですね。
というより、私はこの進ぬ電波少年での印象しか無かったのですが、この度エベレストの頂上に登頂成功したというニュースを聞いて、本当にビックリしました! 現在も精力的に色々と活動されているようですね!
という訳で、そんななすびさんですが、進ぬ電波少年の後は何をされていたのでしょうか? また、エベレスト登頂はなぜ挑戦したのでしょうか? その辺が気になったので、詳しく調べてみることにしました。
このページの目次
なすびのwikiプロフィールは? 現在は?
※以下なすびさんのTwitterよりツイートを引用今夜は、久し振りにリステル猪苗代にお邪魔しております(^_^)そんで以て、これから、一仕事に御座いますです! pic.twitter.com/utS5FzQDoc
— なすび (@hamatsutomoaki) November 30, 2013
なすび お笑いタレントなすびは、日本のお笑いタレント、俳優。本名・浜津 智明。元の所属事務所はワタナベエンターテインメント。福島県立福島東高等学校、専修大学法学部卒業。劇団「なす我儘」主宰、丸福ボンバーズ参加中。オフィスケイ所属。血液型はO型。 ウィキペディア
生年月日: 1975年8月3日 (40歳)
生まれ: 福島県 福島市
学歴: 専修大学
著書: 懸賞日記、 懸賞日記弐、 懸賞日記四出展 Wikipedia/2016年5月20日9時現在
さて、このなすびさんですが、なぜ芸名が「なすび」かと言いますと、上記のツイート画像をご覧頂ければ納得するかと思いますが、顔がなすびのように長細いからのようです。本人が考えたのでしょうか? ピッタリの芸名ですね。
そんななすびさん、電波少年の懸賞生活という番組で一躍有名になりましたが、その時実は専修大学法学部の4年生だったようです。その時の企画は1年ほどのもので、企画に参加した為に留年になるはずでした。
ところが、番組を見た教授の計らいにより休学扱いにしてくれたため、企画終了後に改めて通い直し、無事卒業出来たようですね。
電波少年的懸賞生活とはどんな番組なの?
この電波少年的懸賞生活とは、日本テレビの『進ぬ!電波少年』にて1998年1月から始まった企画で、懸賞に応募しただけで、本当に生活が出来るかどうかというものでした。
そして、この懸賞生活を送りながら、見事100万円稼いだらゴールになるというものでしたが、100万円稼ぐといったらなかなか大変ですよね。(結局なすびさんはゴールましたが。)
話を戻しまして、当時はまだインターネットでの懸賞の応募は主流ではなく、使用するのは主に電話とハガキでした。ちなみに、懸賞の情報元は雑誌とラジオを利用し、山積みのハガキを次々に書いて出していくのですが、その作業はとても大変そうでしたね。
さて、そんななすびさんですが、一体どうしてこの企画に参加となったのでしょうか? その辺について詳しく調べて見たところ、どうやら実は、本人はまったく企画の内容を知らされないまま、このオーディションに参加という形になったそうですね。
ちなみに、沢山のオーディションの募の中から選んだ選考方法は、なんと「くじ」だったそうで、見事にあたりを引いたのが、このなすびさんだったようです。
確かに懸賞なので、かなりの人数の応募の中からあたりを引いたということで、「運」があるという意味では、適役だったのかもしれませんね。そして、決まった後すぐにそのまま車で移動し、懸賞生活がスタートしました。
ちなみに、本当に懸賞する為に必要なもの以外は何もない状況で、洋服も全部脱いで没収されてしまってましたね。患部はナスのマークで隠されていた記憶があります。w
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話を戻しまして、そのようにして始まった懸賞生活ですが、なすびさんは納豆やお肉などを始めとして、その他にも自転車や机、椅子やテントと、本当に様々な物が当たっていました。
そして、食べ物も普段は乾パンが支給されていましたが、たまに懸賞で当たると、本当に美味しそうに食べていたのを思い出します。(ちなみに、乾パン以外食べるものが無かった一番ひどい時期は、なすびさんはドックフードなども食べていました。w)
そんなことをしながら335日が経ち、最後はお米が当たって見事100万円到達となりました。なので、ほぼ一年間で達成したという事になりますね。凄いです。
そして、やっと終わったと思ったらそのまま韓国に連れて行かれて、次は帰国のためのチケット懸賞を目指すことになります。こちらは8万5,590円で、約91日で修了しました。
このように、とてもハチャメチャな企画でしたが、内容としてはかなりおもしろかったですね。その結果、『懸賞日記』という本を出してベストセラーになり、その収入はすべて本人に渡されたようです。さらに、世界最長の懸賞生活家としてギネスブックなどにも掲載されたようですね。
ちなみに、その後、電波少年には一切出なかったとのことで、よほどこの企画が大変だったのでしょうか? それと、この番組以外では、電車男や水戸黄門などのテレビドラマや、バラエティー番組など色々なところで、活躍されて来たようです。
なすびエベレスト挑戦の理由は? ガイドブログとは?
さて、そんななすびさんですが、彼に転機が訪れたのが2011年の東日本大震災だったようです。この時に「被災者の人たちに勇気を与えたい」という想いから、5月20日エベレストの挑戦に挑みます。
ちなみに、登頂資金は1人600万で(この中の100万円は登る時に支払う費用なども含まれています)、この資金の出処は、どうやら各地を回っての募金と、インターネットなどで協力を呼びかけて集めたそうですね。(懸賞では無かったようです。)
話を戻しまして、実はすぐに資金は集まらず、締め切り1週間前で200万とかなりのピンチになってしまいます。ところが、その後みんなの呼びかけで、6日間で200万、さらに最後の24時間で200万円と、物凄い勢いで資金が集まりました。
ですので、そんな皆の想いと一緒に、エベレストに向かったという事になりますね。そして迎えた第1回目の登頂ですが、実は成功しませんでした。というのも、あと山頂から100メートルというところで転天候が悪化し、泣く泣く断念する結果になったようですね。
その後も1年に1度づつ挑戦して行きますが、雪崩や地震などいろいろなアクシデントがあって、なかなか成功することが出来ませんでした。そして、その苦難を乗り越え4度目の挑戦となった今回、見事無事に登頂成功となりました。その頑張りに敬服させられますね。
さて、そんな登頂の様子をブログで綴っているのは、「けんけんブログ-guide diary」というガイドブログになります。このブログの主は、今回のメンバーの隊長である”けんけん”さんという方のブログです。
ちなみに、今回途中で下山された方がいらっしゃったようですが、けんけん隊長やなすびさんを始めとした中心メンバーは、無事山頂まで登る事が出来たようです。そして、その中の現役大学生の”ばんばん”さん(東京経済大学3年の伊藤伴さん)は、日本人で最年少の登頂者となりました。
それと、その後全員無事に下山して、現地時間18時50分にサウスコルに到着したようです。という訳で、「エベチャレ」と名づけたなすびさんのこの挑戦は、福島の人を始め被災した方達に、かなりの勇気を与えてくれる結果になりましたね。
なすびエベレスト挑戦&成功についての記事-終わりに-
さて今回は、お笑いタレント「なすび」さんのプロフィールや現在の活動を始めとして、その他にもエベレスト登頂について調べてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
このように、なすびさんは、電波少年での懸賞生活ではかなり大変だったにも関わらず、持ち前の明るいキャラクターでお茶の間を楽しませてくれました。
ちなみに、実はあの企画が終わった後、自分のやりたかった方向性と、その時の人気とのズレにかなり悩んでいたようです。そこにはやはり、彼なりの目指すビジョンと、今立っている方向性などの葛藤があったのでしょう。
ですが、電波少年の懸賞生活が終わってから10数年以上経った今回のエベレストでの登頂成功で、なすびさんの中で、今回の挑戦は福島の人たちへの熱いメッセージと共に、彼自身にも何かしらの答えに繋がったのではないでしょうか?
それと、東日本大震災が風化していく中での今回の挑戦は、我々日本人が再度震災を忘れず、まだまだ続く復興支援をしていくことを再認識させてくれました。(今年の熊本の震災のほうも同様ですね。)
という訳で、最後に、なすびさんがエベレスト登頂にチャレンジした時の動画を発見したので、そちらをご紹介して今回の記事を締めたいと思います。ぜひご覧ください! (youtube/TheHayatorチャンネルより)
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