お花見の意味や由来を子どもに簡単に分かりやすく伝える方法!
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こんにちは、トレンドボーイです。さて皆さんは、お花見の意味や由来についてどれだけご存知でしょうか?
まぁ意味については、「春に公園とかでブルーシートとか引いて、桜の花を見る(または桜の花を見ながら食事とか宴会する)ことでしょ?」という感じで何となくは分かりますが、その由来については多くの方はご存知で無いと思います。
でも、そもそもお花見の意味ってそれで合っているのでしょうか? ふと桜の時期が近づいてそんな事を思いました。それに、その由来についても、小さなお子さんがいる方など、子供に聞かれたら何て話せば良いのか、今いち分かりませんよね。
そこで今回は、このお花見について、そもそもの意味や由来についてを始めとして、その他にも、それらを小さな子どもに対して出来るだけ簡単に分かりやすく伝える為の方法などについて、詳しく調べてまとめてみる事にしましたよ!
この記事を読んで頂くと、今まで知らなかったお花見のあれこれについて学ぶことが出来るかと思いますので、ぜひ最後までご覧くださいね^^ それではスタート!
このページの目次
そもそもお花見の意味や由来って何だ? 平安時代とサ神信仰?
さて、それではまず、お花見の意味や由来を我が子に簡単に説明出来るようになる為に、我々大人がその詳細について理解出来なくてはなりませんので、その辺について調べた結果を、今から詳しくご紹介して行きたいと思います。
で、早速その調べた結果ですが、まずお花見の意味としては、「桜の花を見ながら春の訪れを祝福する行事(または風習)」とのことで、やはり冒頭でお伝えしたようなイメージに近いですね。
ちなみに、上記のとおり「桜の花を見る=お花見」となっていますが、その他の、例えば梅の花の時などは、「梅見」や「観梅」などと呼ばれて、その花の名前を頭文字として付けるようです。だから桜だけは特別なんですね。
それと、桜の花というのは、ご存知の通り開花時期がわずか2週間足らずなので、それだけ散り際の豪華さなども相まって、日本人の季節感を形成する上での、非常に重要なイベントとなっています。
また、このお花見は、公園や野山などで桜の花を見ながらお弁当や花見酒などを楽しむのが主流ですが、実は日本だけでなく、他のアジアや一部の欧米地域などにも広まっているようですよ!
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さて次に、日本のお花見の由来についてですが、こちらはどうやら奈良時代の貴族の行事が、その起源だと言われているようですね。なんでも、この頃は桜の花を見て愉しむというよりは、神事的な意味合いがあったようです。
これはどういう事かと言いますと、桜というのは豊かな田んぼの実りを司る「サ神」と、その神様が座するという意味の「座クラ」が合わさって、「サクラ」と呼ばれるようになったようですね。なので、そのサ神に対して、お祈りをする為の行事色が強かったという事になります。
ちなみに、この当時は桜の花というよりは、中国から伝来されたばかりの梅の花を見て愉しんでいたようですよ。
そして、その後平安時代に入ると、今度は梅の花から桜の花に取って変わっていったようで、平安時代の歴史書である「日本後紀」によりますと、嵯峨天皇が「花宴の節」という宴を開いて、これが現代の桜の花を見て愉しむ「花見」の初出だとされているようですね。
なんでも、この嵯峨天皇は、京都の地主神社にある桜の花を大変気に入って、毎年桜の木を献上させていた程だったようです。それが、当時の貴族社会での花見の文化に繋がり、現代の日本人の桜見の文化に繋がっていったとされているようですね。
それ以来、桃や菜の花を差し置いて、春の季節に咲き誇る花の代表格として、花見と言えば桜と定義付けられて行ったようです。
「ソース」花見 – Wikipedia
そして、天長8年に入ると、今度は花見が宮中での定例行事として扱われ、その様子などはかの有名な「源氏物語」などでも描かれた程のようですよ。また、この頃には桜は庭造りの基本となり、京都・東山にある桜の名所もこの頃に誕生したとの事です。
ちなみに、万葉集などでも、花見に関する歌を詠んだ首などが、梅の花で110首、桜の花で43首ほど見られるようです。なるほど、桜の花びらを見ながら、歌を詠んで愉しんでいたという訳ですね。
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あ! それと、この頃になると、桜の花が女性の美に例えられるようになっていったようです。確かにあのピンクの花の美しさは、うら若き可憐な乙女に重なるものがあったのでしょう。
どちらにせよ、特権階級の間では、日常的に優雅に過ごすことが重要視されていた時代ですから、現代のように桜の花を見ながら宴会をして騒ぐというよりは、その趣を感じなら静かに愛でて過ごしていたという事になりますね。
また、それ以降の鎌倉時代や室町時代になると、花見の風習が貴族だけでなく武士階級にも広がって行き、日本三大随筆である「徒然草」では、田舎の方などでも花見の宴が開かれている様子が描かれていたようです。
その後の大規模な花見の宴としては、豊臣秀吉が文禄3年と慶長3に執り行った「吉野の花見」と、「醍醐の花見」などが有名です。
ちなみに、”民衆に花見の文化が広がって行ったのはいつなんだ?”という疑問を個人的に感じたので、その辺についても詳しく調べてみましたが、こちらどうやら江戸時代のようですね。
この頃には、現在の上野恩賜公園(台東区)にあたる場所や、飛鳥山公園(北区)にあたる場所に、8代将軍・徳川吉宗の指示の元で幕府が桜の木を植えて、庶民の行楽行事として推奨していたようです。
というか、徳川吉宗と言えば「生類憐れみの令」を発令した人という事でも有名ですが、こういった事もしていたんですね(゚д゚) なんでも、田畑を荒らす鷹を狩る目的で、鷹狩の場に桜の木を植えて花見人に駆らせていたようです。
また、時期を同じくして、桜の花の品種改良なども、かなり盛んに行われるようになっていったとの事ですよ^^ この背景には、園芸がかなり盛んになった事が関係しているようです。
ちなみに、現代の桜で良く見られる「ソメイヨシノ」も、この頃に開発された品種だとされていますね。(漢字で書くと「染井吉野」です。)
このソメイヨシノは、江戸時代末期にとある植木屋が、「大島桜」と「江戸彼岸桜」を交配して、挿し木で創り出した傑作と言われています。
他の桜よりも成長速度が高く、尚且つ綺麗な花を咲かせる事で有名なソメイヨシノは、その後あっという間に全国的に植えられるほどの、認知度の高い桜となって行きました。
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お花見の意味や由来を子供に簡単に伝える方法を物語風に解説!
さて次に、お花見の意味や由来を子供に簡単に伝える方法についてですが、こちらまず、大前提としては難しい言葉を使わないという事です。
まぁ当たり前の事ですが、やはり小さな子供には難しい言葉を使っても通じませんので、なるべく簡単に物語風に伝えると良いでしょう。
ちなみに、一例を挙げると以下のような感じですので、ぜひ参考にしてみて下さい^^
ここから________
その始まりはね、今から遠い昔の平安時代っていう頃の事なんだけど、この頃に当時の天皇陛下の元で、色んな偉い人達を集めて桜の木を見て楽しんでいたんだ。
ちなみにね、桜の花ってかなり綺麗だけど、その咲いている日にちは、指10本と4本を足した位なの。とても短いよね。
だからこそね、そんな美しいけれど短い間しか見れないような貴重な桜の花を、当時の人の間では歌にして詠む事が人気だったんだよ。
それとね、昔は今と違ってカレンダーとか天気予報とかも無いから、正確な日にちや気温は分からなかったの。でも、桜の花は春に咲くから、お米を植えるタイミングにばっちりだったんだよね。
それに、桜には春に山から下りて来た”田んぼの神様”が寄る場所とされていて、この桜が咲くと「神様が舞い降りて来た!」と喜んで、皆でお供え物をしながらお祝いをしたんだよ~。
だから、この頃の農家の皆にとっては、お花見って神様を迎えたり祝福したりするという意味もあったんだね。
あと、桜の花を稲の花に見立てて、占いとかもしてたみたいだよ。どのように咲いているかで、その年にどれだけ収穫出来るかを占ってたんだね。
でも、今は天気予報もあるしカレンダーもあるから、田んぼの稲を植える目安にしなくても良くなって、桜の神様を迎える習慣が自然と無くなってしまったの。けれどね、桜の下でお祝いをするという風習だけは、残ったんだよ。
ちなみにね、普通の人達に広まっていったのは、江戸時代っていう頃なんだけど、その頃には全国的に桜の木が植えられて、今のように皆が見て楽しめるようになったんだよ~。
だから、今年は○○君(ちゃん)の大好きなハンバーグの入ったお弁当を持って行って、一緒に綺麗な桜の花を見ながら食べようね!
ここまで________
いかがでしたでしょうか? ご覧の通りかなり小さな子供でも分かるように簡単に書いてみたので、ぜひ参考にしてみて下さいね^^
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お花見の意味や由来と子どもに簡単に伝える方法の記事-終わりに-
さて今回は、お花見の意味や由来についてや、その他にも、それらを子供に出来るだけ分かりやすく伝える方法などについて、詳しく調べてまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
このように、当時は現在のように正確な気温を知る術が無かったので、桜の開花時期というのは、農家にとって食糧難を乗り越える為に、非常に重要だった事が伺えますね。
特に、自給自足の時代でしたから、そんな時代を生き抜くために、桜とサ神信仰はとても強い繋がりで、根強く指示されていたのでしょう。
ちなみに、当時のお供え物というのは、出して下げた後は皆で分け合って食べていたようですが、これは「神様の力の宿った作物を体内に入れて、その力でもって穢れを祓う」という目的があったようです。
この辺は現代にも通じる部分がありますが、昔からお供えと神様信仰というのは、我々の身の回りで切っても切り離せない、重要な位置付けであるという事が分かりますね。
という訳で、今回は少々長くなってしまいましたが、以上で本日の記事を終了させて頂きたいと思います。最後までご覧頂きありがとうございました!
※ラストに、桜の文化と歴史について解説している動画を発見したので、こちらをご紹介して記事の締めとさせて頂きます。
この動画では、今回お伝えした内容以外の事も詳しく解説されていますので、興味のある方は是非ご覧くださいね^^ ではまた会いましょう!(Youtube/こんなことが!チャンネルより)
今回の記事が何かのお役に立てましたら、各種ソーシャルボタンでシェアして頂けると幸いです。
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