稀勢の里の怪我の病名は大胸筋断裂? 最新の怪我の状態は?
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こんにちは、トレンドボーイです。さて、画面の前の皆さんは、今相撲がアツいのをご存知でしょうか? 若貴時代からようやく19年ぶりに日本出身の横綱が誕生したことにより、空前の大ブームがきています。
そのブームの立役者は、なんといっても横綱・稀勢の里(きせのさと)ですが、感動的な優勝を果たした春場所で負った怪我の影響により、夏場所を途中欠場しました。そして、今場所の名古屋場所でも、新たな箇所を負傷してしまい、2場所連続で途中欠場となりました。
そんな怪我が続いている稀勢の里関ですが、余程の事がない限り、稽古なども休まないことでも有名です。ですので、彼の身体の状態を心配しているファンも多いようですね。
そこで今回は、この横綱・稀勢の里の、怪我(大胸筋断裂)の事についてや、最新の怪我の状態や病名などについて、詳しく調べて見ることにしました!
結構ストイックなことで知られている力士ですので、これを読んで頂くと更に人気の理由がお分かりになる事かと思います。
とにかく、その見た目からも想像できるような真面目な性格で、相撲にも真摯に取り組んでいることが分かってもらえると思います。という訳で、ぜひ最後までご覧下さい!
このページの目次
19年ぶりの日本人横綱・稀勢の里のwikiプロフィール情報!
さて、それではまず、稀勢の里関の怪我の情報の前に、彼をよくご存知で無いという方の為に、プロフィール情報をご紹介していきます。
※以下、毎日新聞公式Twitterより引用大相撲名古屋場所:稀勢の里出場へ 田子ノ浦親方明らかに – 毎日新聞 https://t.co/jaiAw4ly11
— 毎日新聞デジタル報道グループ (@mainichi_dmnd) July 6, 2017
稀勢の里 寛 きせのさと ゆたか 力士
稀勢の里 寛は、茨城県牛久市出身で田子ノ浦部屋所属の現役大相撲力士。第72代横綱。本名は萩原 寛、愛称はハギ、キセノン。身長188cm、体重175kg、趣味はスポーツ観戦、好きな食べ物はのっぺい汁、焼き鳥、フグ刺し、紀州南高梅。茨城県龍ケ崎市立松葉小学校、同市立長山中学校卒。 ウィキペディア
生年月日: 1986年7月3日 (31歳)
生まれ: 兵庫県 芦屋市
部屋: 田子ノ浦部屋
番付: 横綱 (2017年から)、 大関 (2012年 – 2017年)
体重: 176 kg
両親: 萩原裕美子、 萩原貞彦
上記wiki情報によると、どうやら稀勢の里は、小学校2年生から相撲を始めて、地元の相撲大会で優勝したり、茨城県代表として両国国技館で相撲を取った経験などがあるようですね。
ちなみに、小学校4年生から始めた野球もなかなかの実力で、強豪校からの誘いもあったようですが、鳴門親方から「横綱・大関になれる」という太鼓判を押されたこともあり、角界入りを決めます。
ただ、当時の鳴門部屋は、とても厳しいことで有名で、他の力士達から一目置かれる部屋でもありました。また、稽古も長時間連続で行うこともあり、出げいこで他の部屋と交流するといった事も無かったそうです。
ちなみに、先代の鳴門親方は、稽古だけでなく「食」の部分にも相当なこだわりを持っていたようで、食材を市場から直接仕入れて、既成食品を食べさせないといったりなど、身体を健康的に大きくする為に、とにかく徹底的な管理がされていたようです。
そういった親方からの教えもあって、稀勢の里関は、18歳3か月で新入幕を果たします(史上2番目の記録)。また、初土俵から横綱に昇進するまで一度しか休場していない(2014年の初場所のみ)のも、厳しい稽古による賜物と、怪我をしにくい体を作り上げた事によるものでしょう。
そんな稀勢の里が、今年に入って2場所連続で欠場することになったので、相撲ファンにとても心配されています。そこで次に、怪我の詳しい内容についてお伝えしていきます。
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稀勢の里が大胸筋断裂に!? 最新の怪我の状態や病名は?
さて、ここでは、横綱になってから怪我が続いている稀勢の里について、怪我の病名も含めて詳しくお伝えしていきます。
まず、横綱として初めての春場所では、初日から12連勝と絶好調でした。ただ、13日目の日馬富士戦で、彼は左肩を負傷してしまいます。翌日から大きなテーピングをして強行出場しますが、14日目も負けてしまい、千秋楽で本割と優勝決定戦を連勝しないと、優勝できない条件でした。
ですが、稀勢の里関は、照ノ富士相手に2連勝して、奇跡の逆転優勝を果たすのです。これには観客も大喜びで、本人も優勝力士インタビューで歓喜の涙を流していました。ただ、この優勝の代償は大きかったのです。
場所後の診断では、「左大胸筋損傷・左上腕二頭筋損傷」で、約1か月の療養が必要であると判明しました。また、左大胸筋が断裂しているとの話もあり、怪我後2日間で、3番の取り組みを行ったことも疑問視されていました。
ちなみに、その後の夏場所でも6勝4敗と精細を欠いていて、初優勝からの3連覇の期待がかかっていたのですが、11日目から欠場することになります。
そして、今場所の名古屋場所では、5日目に左足首を負傷してしまうのです。診断は「左足関節靱帯損傷」で、約3週間の安静加療を要すると判断されました。
また、5日目の序盤戦で格下相手にも関わらず、2勝3敗と成績が振るわなかったのですが、これは、春場所で故障した左大胸筋・左上腕二頭筋の怪我が影響しているとされています。
ちなみに、稀勢の里は左四つが得意なので、どうしても怪我の影響が大きく、思うような相撲が取れなかったと思われます。
そこで、6日目での休場を日本相撲協会へ申し出ることになります。まさに、怪我が怪我を呼んでしまった状態で、「これなら最初から休場しておけばよかった」という声なども、ネット上では挙がっているようですね。
ただ、責任感の強い稀勢の里関ですから、横綱になって3場所目で、そんなに休んでいられないということで出場していたのでしょう。ですので、どちらが正しいとは一概には言えないですよね。
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話を戻しまして、今回の稀勢の里の休場については、日本相撲協会の八角理事長は、「とにかくまずは怪我をしっかりと治すこと。身体を休める勇気を持たなければならない」といったようなコメントを残しています。
そして、10年間横綱を務めてきた白鵬は、「身体に無理をさせてまで出場したからといってファンは喜ばない。やはり万全の状態で出るのが基本」といったような助言を送っています。
稀勢の里のプロフィールや怪我の状態について-終わりに-
さて今回は、日本人横綱として注目されている稀勢の里のwikiプロフ情報や、彼の怪我の状態などを詳しくご紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?
筆者が今回記事を書いていて思ったのは、やはり怪我の状態が想像以上に良くないので、まずは完治するまで休場する方が良いかなと思いました。
どちらにしても、無理を押して出続けた事が致命傷となって、短命横綱として引退するのだけは避けなければいけないですよね。
確かに、周囲の風当たりが強くなることは間違いないのですが、それは横綱として仕方ない部分でもあるので、結果を残すことでそれを跳ね返してもらいたいと思います。
という訳で、今回はこれにて終了します。最後までご覧頂きありがとうございました!
※ラストに、稀勢の里が大関時代に母校の後輩たちへメッセージを送った動画を発見しましたので、こちらをご紹介させて頂いて、今回の記事の締めとさせて頂きます。(YouTube/いばキラTVさんの動画より)
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